アングロ・サクソンの民族性に見えるケルトの影

【イギリスの国民性=アングロ・サクソンの民族性】

イギリス人の国民性を考えると、18世紀以降の国民国家UKが成立してからの、近現代史に属する時間に課された、近代人としての生活習慣に負うところが大きい。
しかし、そんな事は時代の違いはあれ、近代国家となった社会ならばどこもそうならざるを得ない。それよりも近代的国民性の下には、それ以前の長くゆったりとした古代からの歴史の流れで醸成された民族性が決して消える事無く息づいているのであり、UKにおいては、多民族国家とはいえ人口の4分の3を占め、他の民族(ケルト系)に対し支配的な立場だった、言わば基幹民族としてのアングロ・サクソン族の民族性がそれに相当する。
それは一言で表すならば、無骨さと島国根性といえると思う。

アングロ・サクソン族は、オランダのアングロ族、フリース族、ドイツのザクセン族、デンマークのジュート族などゲルマン諸民族がブリテン島に侵入後に融合してできた民族であり、原郷はスカンジナビア半島や大陸北辺の北国だ。自然条件の厳しい北方民族らしい、華やかさには欠ける、無骨という言葉がぴったりの質実剛健さが基本にある。
また大陸に比較的近く地形が平坦な為に外部から侵入を受けやすいが、それでも海という天然の堀に隔てられた島国である。地続きよりは遥かに安全で、かつ刺激を受けにくいため、ヨーロッパ辺境の地として変化の無いうちに、保守的で内向的になっていったはずだ。
一方、こうした井の中の蛙的な島国根性、視野の狭さは同時に、ヨーロッパ文化の中心であるフランスなど地中海文化の伝統へのコンプレックスとなり、自らの保守的傾向へ逆に反発心となって、これを覆そうという欲求を時折爆発させる事もある。
結果として田舎臭い野暮ったさ、内向きの頑固さと同時に、奇矯に振る舞ったり、新しい物への過剰な傾倒ぶりを見せたりもする。このように一見矛盾した傾向を併せ持つが、これも保守性・内向性とそれへの反動というワンセットなのだろう。
融通の利かない気難しい頑固者なのか、それとも、ガサツで気が利かないのか?また計算高く堅実なのか、それとも目先に囚われやすいスノッブなのか?このように対照的なものが常に同居するところに、その性癖は明確にされている。
そんな姿を生き方の基本である衣・食・住を見れば容易に確認する事ができる。



【イギリスのファション感覚―ジェントルマンは鎧が好き】

「衣」とは単に人間を寒気などから守り、生活に必要な助けとなるだけでなく、自己を周囲に認識させるファッション性としての機能も合わせ持つ。
ファッションはその人間が何者なのか、何をしたいのかを示すものであり、またその時の気分を表現したり、異性に対してのセックス・アピールを発したりするものである。
その発信されるメッセージがより複雑で色々な意味合いを持つほど、我々は豊かな感性をそこに見つけることが出来る。
そしてイギリスの代表的なファッションとは、「紳士」のスーツを中心とした装いが想起される。この「紳士」スタイルの起源を遡れば、近代の絶対主義体制が揺らぎ始めたころ、隣国フランスで市民革命が起きた時のこと。フランスの貴族階級が断罪された事におののいたイギリス貴族達が、伸張する市民勢力への反発から、自らの君臨している立場を豪奢な衣装で表し、圧倒してしまおうという所に発している。
このときの貴族スタイルが支配階級ジェントルマンの型としてその後スーツに結晶する。ジェントルマンだけでなく、これを気取る成り上がりも含め地位や力を示すシンボルとして「紳士」ファッションは成立し続け、UK社会だけでなく、帝国主義植民地においても異民族に対し支配者である事を分からせるユニフォームとして機能した。
つまりイギリス・ファッションの原点は「こけおどし」にあり、人間の柔らかな感性を反映しているとは言い難い。人が人を支配することを隠す必要も無かった時代の粗野な心性が剥きだしになった「バーバリアン」の名残りを留めている。
いくらヴァリエーションに凝りオシャレになったつもりでいても、ベースに人を威圧する「鎧」のようなイメージを内包しているのだから泥臭さはつきまとう。
そんな垢抜けないイギリス人がただ一度ファッションにおいて革命的なパフォーマンスを示した事がある。60年代中期から70年代末までにかけてロンドンの若者ファッションが世界の注目を浴びた。モッズルック、マッシュルームカット、ミニスカート、そしてグラムファッションやロンドンパンク等々である。それは従来の紳士スタイルが放つ威圧に対して反発し開放を求める欲求に満ち溢れている。その担い手が正に威圧を受ける側の労働者階級の若者だからこその事である。
しかしその後イギリスの若者が「粋」という新たな属性を身に着けたかと言えば、逆戻りしてしまう。今や一つの記号化してしまったストリート・ファッションに埋没し、珍しくもない単なる都会の不良という役回りを演じているだけでは個性を主張しているとは言い難い。
後からUK市民の一員なったアフリカ系、カリブ系移民の若者の方が、むしろこういったスタイルでは輝いて見えるだけに、結局はアングロ・サクソンの子孫達が、未だに民族的野暮ったさから抜けきらないと感じてしまうのだろう。
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19世紀末ヴィクトリア朝のジェントルマン・ファッション


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現代のジェントルマンを気取るフォーマル・ファッション

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型破りのつもりの現代ロンドン・ストリート・ファッションだがダ・サ・イ!




【イギリスの食―ひたすらカロリー摂取】

イギリスのメシのマズさという不名誉な定評はもはや動かし難いが、その背景にある食文化の貧しさは一体どこから来たのだろうか?
豊かな食文化というものを考えると、そこには郷土料理のヴァリエーションを豊富に持っている事が挙げられる。そしてイギリスにはこれが無い。
郷土の料理が成立してゆく過程として、先ずは飢餓との戦いの中から色々な食材の開拓があり、余裕が生ずると味覚に対する配慮や工夫が試みられる。さらに交易が盛んになるに連れて食材も料理方法も流通・伝播し、こうして食文化としての発展を遂げるのだが、ブリテン島ではこの痕跡が殆ど見られない。

ローマ帝国の植民地だった時代に主なる収奪される物資は穀物だったが、その後アングロ・サクソンの時代になってもイングランドは麦ばかりの土地だった。粉にしてパンにするか、そのまま粥にするかして食する麦類が主な栄養源であり、後は毎冬につぶし貯蔵しておいた豚の塩漬け肉などの動物性蛋白質を摂取、これがブリテン島の食文化のプロトタイプである。中世も時代が進むと北海のニシン塩漬け、羊毛生産の副産物としての羊肉、農耕牛の食肉化、そして大航海時代に入り新大陸からのジャガイモが加わるが、料理方法の発達は無く、デンプンと動物の脂肪の組み合わせというスタイルの食文化が相変わらず続けられた。唯一ビールだけがヴァリエーション豊かに発展して行くが、これとてパンを液体化して保存する麦料理の一種であり、酒であると同時に麦からの栄養源という考え方が強く、そのせいか未だにブリテン島では昼夜を問わずにビールを常飲する習慣があるのだろう。

このようにアングロ・サクソン族にとって食とは栄養の補給という原初的な目的から出る事が無く、それ以上の欲求にたいする想像力が欠如したまま今日に至っていると考えられる。ドイツなどでも似たような傾向があるところから、これはゲルマン系民族共通の現象で、やはり厳しい自然環境である北国のという彼らの原郷で培われた質実剛健な習性が根底にあるものと言えそうだ。
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でん粉と肉の脂の競演!これぞアングロサクソンの伝統。シェファーズパイとステーキ&チップス



【イギリスの住―中世の残骸】

イギリスの「住」というと、あのゴシック調の建物のデザインなどよりも、住環境である都市の姿の異様な古さに感じいってしまう。道路は中世そのままに狭く、必要に応じた拡張もしないので幹線道路とそうでない物の区別が難しい。そして曲がりくねり、行く先が一望できない。特にヨーロッパ最大の大都会であるロンドンでの、この姿は異様と言って良く、しばしば隣国の大都会パリと比較される。
パリは広くまっすぐな大通りが中心部から放射状や碁盤の目状に伸び、道路だけでなく大きな区画に、威容を誇るスケールの大きな建造物やモニュメントが置かれ、ヨーロッパの(なかんずく近代における世界の)「都」である事を示しているのと、あまりに対照的だ。
要するにロンドンは近代を迎えても首都としての、いや18世紀に産業革命で潤った世界最大の商都としての都市計画・再開発を放棄したのである。さらに加えれば世界第一の経済大国の後ろ盾となって重商主義を推し進めた絶対君主の王城の地を、それに相応しい装いにする気も無かったという事である。

パリの壮麗さは、ベルサイユを作ったブルボン王朝の絶大な権力と、産業革命により近代化を成功させた共和国の鼻息の強さを表しているが、そこにはフランス人のヨーロッパ世界の盟主としてのプライドが感じられる。
フランスはガリアと呼ばれた古代、ローマ帝国の直轄地であり、その文化的薫陶を受けた継承者という感覚がある。さらにローマ帝国崩壊後、ローマ教会といち早く手を結びヨーロッパの新秩序を打ち立てた、ゲルマン系フランク族が建国したフランク帝国がフランスの前身となっているため、ヨーロッパの中心地であるという意識もある。このフランス中華思想をしてパリを「花の都」つまりは「世界の華」たらんと欲したのだろう。
比べてUKはしょせんヨーロッパの西端、大西洋に浮かぶ辺境の島国だ。フランス人のような気宇壮大な心意気など理解不能な田舎者だったのかも知れない。大航海時代半ばの17世紀までは大国フランスやスペインの影に怯える小国だったし、ヨーロッパ秩序の象徴であるローマ教会と平気で決別して自前の国教会を作ってしまうはみ出し者でもある。
帝国主義領土拡大の競争に勝ち、産業革命をいち早く成就させ、ついに資本主義世界システムの中心に居座るようになる。そんな世界一の帝国になっても、新しいヨーロッパの盟主であるとか、連綿と続く伝統的ヨーロッパ文化のパトロンとなるべきである、との自覚を持たなかったのだろう。
そのひとつの現われとして、この時期イングランドをリードする、貴族や資本家などの支配階級は、その子弟をグランド・ツアーと呼ばれたヨーロッパ大陸研修の旅へと送り出しているのである。
ヨーロッパの過去の文化遺産の精神を継承するような、新たなリーダーとなるべき研修などでは無い。思いがけない富を手にし、上流らしくふるまう教養が急に必要となったので、慌ててフランスやイタリアでその「都」ぶりを身につけようという、いかにも田舎の大立者らしいはしゃぎ方である。
経済大国として相応しいモダンな首都をデザインし、新時代のリーダーとしての理念や心意気を表そうなどという大風呂敷を広げるよりは、自らの利益に営々と励む、面白みに欠ける不調法者という所がアングロ・サクソンらしさという事になるだろう。

そんな彼らも時代の変わり目には、変革を目に見える姿で訴えようと、ロンドンなど都市の再開発などにより住環境の一新を試みる。第2次大戦終戦直後、焼けた落ちたロンドンの市街地に、近未来的デザインで徹底的に科学的・合理的な機能を付与した超高層集合住宅を建設した。しかし建築家の未来志向の妄想に支配され、構造設計上の強度や住民の使い方への配慮が欠落していた為に、たちまち欠陥が続出して住む者が居なくなってしまう。結局は撤去を余儀なくされ、今は跡形も無い。
それから40余年後、今度はサッチャー時代から始まったミレニアム計画~オリンピック準備計画に基づく、オフィス用高層ビルとマンション建築などのロンドンの再開発は、今も進行中だ。しかし表面的にUKの経済再生だけを象徴づけようという意図があまりに透けて見え、未来のイギリス社会の理想像を求める高邁な理念など微塵も感じられない。
パリにある、歴史に残り近代を印象づけるような観光名所となる気配はまずもって無いだろう。
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ビジネス街と、ロンドンの代表的繁華街のオクスフォード。このせせこましさ!




【イギリス人のファンタジー好み―アングロ・サクソン民族に見えるケルト性】

ことほど左様に無粋なアングロ・サクソン民族は文化に彩りを与える想像力が全く欠如しているかに見えるが、実は無類のファンタジー好きなのである。マクベスからハリーポッターに至る幻想物語の系譜にそれは明らかだ。そして彼らのファンタジーはグロテスクな様相に包まれている。
魔女、妖怪、精霊、妖精、竜、幽霊、こんなキリスト教から見れば悪魔のしもべ共は、必ずしも彼らにとって禍々しいものとは限らず、むしょうに惹きつける親しげな存在である場合も多い。
それはこの悪魔のしもべ達が、実はキリスト教以前の彼らの神が使わした者どもであり、実は彼らにとっての神とは、カソリックの神でもなく、またアングロ・サクソンの神ではなく、先住民ケルトの神なのである。
神自身は森林を棲家とし、高い聖木の梢に宿っている。血を好み、捧げられた生け贄に、生と死を司る自然と一体になった神聖さが象徴される、ドルイト教と呼ばれているケルト世界の宗教である。
アングロ・サクソンがイングランドに侵攻すると、圧迫された先住民のケルト人はブリテン島西部のウェールズやコーンウォールなどに移住し、イングランドはアングロサクソン人達の地となったとされている。しかし僕にはそんな簡単にケルト人が移住できたと思えない。殺されずに残った者の多くがアングロサクソン人によって農奴とされたり、混血していったりしてアングロサクソン人社会に同化されていったと思う。
しかしアングロ・サクソンには強力に確立された宗教が無い。元々ゲルマン人一般の傾向としてケルト人のドルイト教の影響を受けた森林を舞台としたアミニズムを信じていた。だからケルトの地でケルト人を取り込む事で逆にその宗教にいよいよ感化され、ドルイト的な森林を崇拝するようになったに違いない。ドルイト教にしろ、初期のイングランドのアングロサクソン族にしろ、文字による記録を残さなかったから、それを証明するものは何もない。
しかしその後のイングランド人の宗教的なふるまいに確実にケルトの遺伝子を見ることができるのだ。
ファンタジー好きは有名な文学作品や物語に留まらず、様々な絵画や彫刻などのデザインに現われる妖怪などのグロテスクな姿に顕著であるし、のちに入ってきたキリスト教の大聖堂、即ちキリスト教の神との交感の場が、ケルトの神の棲家である森林そっくりであるゴシック・デザインで作られている事などにも明らかだ。
さらにこれは僕の個人的なインスピレーションであるが、アングロサクソンの歴史上最大の成功を収めた音楽であるブリティッシュ・ロックの中に抜きがたく聖なる森林への憧憬のイメージが現われるし、また実際ブリティッシュ・ロックは非常に多くの影響をトラッドから受けており、それはケルトの島アイルランドに盛んなフォークミュージックが持つ自然と一体化した幻想性に通ずる所があまりに多い。
精緻な指摘はしないが、例えばビートルズの最高傑作アルバム「サージャンペパーズ」に収められた曲や歌詞、あるいはレッドツェッペリンの3rdアルバム、特に彼ら最大のヒット曲「天国への階段」の示すイメージ。ツェッペリンでは他にも3rd以降のアルバムに起用されたアコースティック・サウンドのトラッド傾向やアルバムのジャケットデザインのテーマ。またイエス、EL&P、ジェスロ・タルなどプログレ系バンドに見られるフォーキーな楽想。
ハードロック系でもウィッシュボーンアッシュやリッチーブラックモアにみられる中世への憧憬を通して当時の森をさまよった魑魅魍魎への共感が前面に押し出されている。
きりが無いが、思いついただけでもこれだけ出てくる。
僕も音楽をクリエイトする人間なのでこれらを具体的に音楽上の理論で立証する事もできない事は無いが、面倒きわまりないそんな作業をしなくても、聴けばすぐ分かるほどのプリミティヴな宗教観やファンタジックな発想に満ち溢れている。

このようにケルト文化はブリテン島において、北部カレドニアのスコットランド系と西部ウェールズやコーンウォールのブリトン系のケルト民族だけでなく、イングランドのアングロサクソン民族の血に中も息づいているのである。今もってブリテンはケルトの島とも言え、アングロ・サクソンの持ち込んだゲルマン文化と重層的な、それも一様では無くところどころ見え隠れする不揃いの模様が浮き出ている。ここに我々は「イギリスらしさ」という曖昧模糊としたイメージを結んでいるのだろう。
連合王国内の4つの国の国境で色分けするような、アングロ・サクソンとケルトというあまりに単純で図式では、この島ならではの真の多民族性語ることができない。
そのように平面的なものではなく、両民族が厚みのある塊の中で絡み合って織り成すマダラ模様の世界の深みに惹きつけられるのである。
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レッドツェッペリンのアルバム「聖なる館」のイラストはアイルランドの巨人伝説「ジャイアント・ゴーズ・アウェイ」を引用した幻想的風景

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ジェスロタルのアルバム「日曜日の印象」は中世趣味そのもの。幻想の世界へといざなう。

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14世紀イングランドの地方領主ルテラル作の詩篇に描かれたイラストにはグロテスクな妖怪の姿が散りばめられる。ケルトの奇怪な幻想を好む傾向が満載だ。

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